先日、上司が部屋にやってきて「勤続10年おめでとう!」とソニーのギフトカードを貰いました!
10年働いた最初の感想は、「え!まじ!もう10年?!」でした。NYのソニーミュージックはとても働きやすく、そして何よりもやりがいのある楽しい仕事が多い。個人の能力を尊重してくれる上に、オフィス環境など甘やかされてると言っていい位、設備も整っている。
でも、アメリカで10年同じ会社にいるってのは決して偉い事ではない。(リーマンショック時の、もの凄いリストラ危機を何とか生き残った事は、ちょっとだけ凄い事かもしれないけど、偉くはない。)
正直「10年も同じ所(会社)にいてしまった…」と恥ずかしい気持ちの方が大きかった。ニューヨークのデキる人は、他の会社にいいポジションで移ったり、引き抜かれたり、そうやってキャリアップする事が多い。更にクリエーターなら、新天地を求めて新しいチャレンジしなきゃ、と常に思っていた。まあビザの問題もあるからー、って言い訳してたけど、言い訳だ。
10年ちょい前…
日本の広告代理店Frontageを辞め、単身NYに語学留学で乗り込んだ当時。学生をして1年半ちょっとで就職が決まったものの、英語もビミョーに怪しい、アメリカのカルチャーもチンプンカンプン。英語の仕事メールを読んで、理解して、英語で返信書くまで、めっっっちゃ時間がかかっていて常に滝汗状態。
英語で電話会議
一番困ったのが、アメリカでは当時から主流だった電話会議。ただでさえ英語聞き取りが大変なのに、南部の黒人ラッパー関係者とか、アクセント強くすぎて全くついていけない…。スピーカーフォンにして、録音して何度も聞き直しても、やっぱわかんない!!って事ばっか。でもアメリカ人上司に聞いたら「俺もあのアクセントはあんまり聞き取れなかったから、大丈夫!」と。…きっと分かってたくせに、、、優しい上司だよ。。。でも10年経った今でも英語の電話会議、苦手です。誰が話してのかわかんなくなるし、未だ南部アクセント苦手だし、ヨーロッパ系の人の英語とかも難しいし、出来れば顔見て話したいす。
まあ、そんなこんなの最初の半年〜1年位は、何度オフィスの床でこっそり寝た事か、って位、泊まり込みしました。
でも負けず嫌いの私は、『残業した』とか『オフィスに泊まった』とか極力ばれないように、余裕なフリをしてた。一生懸命背伸びをする年頃だったのですね。(笑)最近はもっぱら、大きな声で「残業したー!」「しんどいー!!」を猛アピールしてますが。w 簡単な仕事なのは分かってるけど、慣れない環境、そして自分の英語力や技術レベルのせいで、人より時間がかかっている事を知られたくなかったのだね。人に迷惑かけたくなかったし、何よりも自分の能力不足を言い訳をしたくなった。当時は週末もこっそり仕事、時間さえあれば、Barnes & Nobleで高くて買えないザインの本を見ては、デジカメで写真撮ったり。
ハラキリを逃れて、学ぶ。
初めて大物アーティストに会った時は緊張して、変な英語で熱意を伝えて「??」って顔されて大恥かいたり、仕事相手に英語でどなられて、言い返せない自分が悔しくて泣いたり、やってはいけないミスをして「やばい、切腹?!ハラキリ?!」と落ち込んだり。沢山身をもって、学びました。
そんな日々も過ぎ、少し慣れてきた頃、初めて全て一人で任された撮影がロスであった。バンドが泊まっているモーテルの階段からロスの夕日を見ていたら、そこに自分がいる事が信じられなくて、嬉しくて、母にその場で電話をした。「夢がひとつずつ叶ってきている」と。夢だった、音楽のデザインの仕事、アメリカや世界で活躍する人達と一緒に仕事がしたい、そんな願いが叶った初めてのプロジェクトだった。あの日のロスの黄色がかった空の色は一生忘れない。それ以降はロス出張があまりにも多すぎて、今はもう出来れば行きたくないんだけど。(笑)
でも、そんな右も左もわからない私を、常に支えてくれたのは、今もいる仕事仲間だったり、友人だったり。
全ては出会いから始まっている。
そして今、ソニーの仕事以外に、個人的に関わらせてもらっているデジタルマガジン•プロジェクト『HEAPS』。HEAPSにはインターンも含め、若くてやる気のあるデザイナーや編集者が沢山いる。「私が○○ちゃん位の時はね〜、」なんてしょっちゅう口にしている自分に、年を感じて嫌になる時もあるけど、10年前の私にしたら、それを言えるようになっているという事が進歩かな。
あの時の、全てが不安だった自分に、今の自分を見せてあげたい。他の人と自分を比べて落ち込んだり、里帰りするお金がなくて何年も日本に帰れなくてホームシックになったり、仕事が思うようにいかなかったりと、不安で一杯だった20代。なんだかんだ言って、振り返ると積み重ねてきた経験やスキルが、今、私の財産になっている。って、たいした物じゃないんだけど、それを今、少なからずHEAPSでシェア出来る事が嬉しくてしょうがない。HEAPSの場を与えてくれた全ての人達、そして一緒に昼夜問わず走り続けている仲間達に心から感謝です。